1、フランス外人部隊とは?
 
外人部隊もフランスの正規軍で、フランス陸軍に属している。
1831年、フランス国王ルイ・フィリップにより創設される。
戦争の際、自国の兵士を使わず、他国からの傭兵を使えば自国民が傷つかずにすむという考えで作られたらしい。
外人部隊に降伏の文字はなく、捕虜になった際の教育などされない。死ぬまで戦うよう訓練される。
アルジェリア征服、インドシナ戦争、アルジェリア内戦などに外人部隊は送り込まれ、多くの外人兵が命を落としている。
現在でもフランスが海外に派兵する際には必ずといって良いほど外人部隊を送っている。 
最近では、アフガン、コソボ等に派兵されてる様子。


2、入隊資格

国籍、人種、宗教に関係なく18歳以上、40歳未満の健康な男性なら入隊可能。
入隊するには各種テストに受からなければならない。


3、志願場所

一番行きやすいにはやはりパリの募集所だろう。

例えば、Gare de Lyonから行く場合、 RERという電車のA線のプラットフォームに行き、A2の電車に乗る。
ここで注意しなければならないのが、同じプラットフォームにA2A4の両方の電車が入ってくるということだ。
A4に乗ってしまうと目的地に着かないから注意してください。

そしてA2線のGare de Lyonから3つ目4つ目の駅で降りる。どちらの駅からでも行けるので、お好きな方からどうぞ。
3つ目がFontenaysous−Bois、4つ目がNougent sur- Marneです。
Nougent sur- Marneのほうが行きやすいかな。


 

 左の地図に丸印が4個あるが、左から
 Gare de Lyon

 Fontenaysous−Bois

 Nougent sur- Marne

 RERのA2線
 
 参考にしてください。














 その他の志願所
 59 000 Lille      La Citadelle  tel 03 20 55 40 13
 76 038 Rouen cedex  Rue du Colonel-Trupel  tel 02 35 70 68 78
 21 000 Dijon     Caserne Junto-66,avenue du Drapeau tel 03 80 73 54 86
 69 007 Lyon      Quartier General Frere  tel 04 78 58 40 21
 06 300 Nice     Rue Sincaire  tel 04 93 80 59 06

4、試験内容
(1999年に私が受けた試験の内容で、現在は多少変わっているかもしれませんし、違ってるかもしれません。)

@12分間走
 12分間に2800メートル以上走ること。

A健康診断
 視力から各種内臓まで検査されます。
 視力は片目で0,3以上は欲しい。
 レーザー手術については、最近では見破られて落とされることもあるらしい。1年以上たってから志願した方がいいようだ。
  
B知能検査(日本人ならまず問題ないと思います。小学校、中学校でやったことがあるはず。)

数的推理 (例 1、3、5、?、9の数字が並んでいるが、?の位置にくる数字は何か。)
空間推理 (立方体が縦、横、奥に積まれている絵を見て全部で何個あるかを推測する。)
記憶力 (数分間地図を見せられ、そこに書かれているホテルや郵便局等の建物の位置を覚え、後に渡される白地図に建物を書き込んでいく。)

 各国の言葉で書かれた試験用紙が用意されてある。もちろん日本語のバージョンも用意されている。

C犯歴調査
 過去の犯歴の調査であるが、ICPOなどに手配登録されてない限り問題ないだろう。
 日本で多少の犯罪暦があってもわからないと思われる。

D面接 
 外人部隊の大佐による面接。
 志願動機、希望配属連隊、職歴、軍歴、妻子の有無、武道経験の有無などを聞かれる。

 以下は私の場合。(参考まで)

志願動機 『人生を価値あるものにするため』と言うも、理解されず、「結局人生を変えたいのだな」と言われてしまう。
希望配属連隊 空挺部隊、歩兵部隊 (空挺になっても問題ないか?と必ず聞かれるので問題ないと答えること)
職歴 陸軍(陸上自衛隊、歩兵部隊、階級は伍長)、警察(機動隊)  (何れかがあったほうがいい)
妻子 なし(なしと答えるのがベスト)
武道 空手初段、柔道二段(あったほうがいい)

E心理テスト
 バウムテスト      紙に木を描かせてその人間を分析するらしい。
 性格?テスト      質問に「はい」か「いいえ」で答えさせるもの。

5、語学力

 筆記テスト以外、全てフランス語か英語で行われるので、ある程度の語学力が必要となる。
 面接などでも、急いで話す必要はないので、わからなければ何度でも聞きなおし、ゆっくりと話し、正確に自分の考えを伝えればよい。
 相手が何を話しているのかわからない、また、自分の意思が相手にほとんど伝わらないレベルの語学力では志願した時点で追い出されることになる。


6、志願の際、持って行くと役に立つもの
(高価なものはすぐ盗られるので持って行くべきではない。泥棒天国なので。)

  • 仏和、和仏辞典(必要)
  • フランス語文法の本(必要)
  • 石鹸、石鹸ケース(必要)、ナイロンたわし、歯ブラシ、歯磨き粉、爪きり
  • テーピング、バンドエイド、(靴擦れ対策。入隊後の訓練用。買い物ができないので。)
  • 油性のマジック(私物に名前を書くため。すぐ盗られるから。たとえパンツでも。)
  • 履き慣れたランニングシューズ(絶対持っていったほうがいいです。テストにも使えます。)
  • 卒業証明書(英語のもの。学校に頼んで作ってもらう。)

7、配属までの流れ

@各募集所にて志願
パスポート、多額のお金、ナイフなどの危険物は全て取り上げられる。
視力検査を受け、問題なければ志願者用の部屋に入れられる。
食堂の掃除、草むしり、タバコの吸殻拾い等の雑用をさせられながら約1週間過ごす。
病院で簡単な身体検査を受け、問題なしならオバーニュの第一連隊に送られる。

Aオバーニュの第一連隊(約3週間)
私物は全て取り上げられる。
(不合格になるか、合格してカステルでの訓練を終え、オバーニュに戻った時点で返してもらえる。)
約3週間かけて各種検査、テストが行われる。
検査、テストを受けない日は各種雑用、掃除をして過ごすことになる。(ほとんど毎日雑用に駆り出される。)
毎日誰かが不合格になり姿を消す。
全ての検査に合格すると、戦闘服が支給され、それを着て残りの日を過ごすことになる。
合格者は「ルージュ」と呼ばれ、他の志願者の世話をしていくことになる。(朝、皆を起こしたり、警備についたりする。)

Bカステルノダリの第4連隊(約4ヶ月)
オバーニュから電車で移動する。
着いて2日後には、ファームと呼ばれる野外訓練施設に移動し、そこで1ヶ月の訓練を受ける。
ファームから1泊2日の60キロ行軍(ケピマルシェ)にてカステルに戻り、はれて正式な外人部隊兵となる。
主にカステルで過ごすが、他の訓練施設などにもよく出向いて訓練を受ける。
2泊3日の100キロ行軍(レッドマルシェ)をこなし、フランス語テスト、体力テスト、射撃テストなどを行う。
総合成績、配属希望等を参考に配属連隊が決まる。
一度オバーニュに戻り、私物の返品を受け、各連隊に移動する。

8、入隊に向けてのトレーニング
   (やっておくと入隊後の訓練を比較的楽にこなせるでしょう。)

  • 毎日のジョギング(10キロぐらい。ほぼ毎日訓練で走ります。)
  • リュックを担いでのジョギング。(10キログラム程度。10キロメートル。)
  • 障害物走
  • ハイキング(行軍対策)
  • 腕立て、腹筋、背筋、綱のぼり、懸垂

  

9、詳細情報
  (以下は、明るく楽しい外人部隊の掲示板におけるKronenbourg氏の書き込みを抜粋したものです)

視力について

 フランス軍では大きく分けて五段階に視力が分類されています。一番良いのがY1で、悪くなるに従いY2,Y3,Y4,Y5と分類されます。Y5は軍隊不適格として入隊できません。
 私が1991年4月に志願した時は、左右とも裸眼視力が0.1で、矯正視力が1.2でしたが、ギリギリY4で入隊できました。ところがY4では空挺隊員不適格で、希望していた2REPに行けないどころか、大型免許、装甲車免許、SAF(ダイバー)、コマンドー訓練等、その他もろもろの訓練が受けられないと知り、ショックを受けた記憶があります。それでも当時は現場での裁量でコマンドー訓練は受けさせてもらいました。しかし、大型免許等は無理でした。  レーザー手術については知っていましたが、レーザー手術をした場合、その後二年間はY5に指定され、部隊に残れなくなるので諦めました。在隊中に隠れてやっても身体歴に記録されているので、何の解決にもなりませんでした。 そこで私は五年の任期が終わり除隊した後にパリでレーザー手術をしました。その後経過が良かったので、約二年経過した後マルセイユのLAVERANTと云う軍の病院で軍医に証明書を書いてもらい、再志願、再び外人部隊に戻りました。そして今度は2REPに配属を許されました。
 しかし、ここでも手放しでは喜べませんでした。なんとレーザー手術をしたという記録があると、いくらY1と同等の視力があってもY3に指定されてしまうのでした。Y3だとギリギリ空挺隊員合格で、大型免許、装甲車免許、コマンドー訓練等もOKなのですが、依然SAFやmoniteur PARA(空挺教官)、chuteur OPS(GCP)等は不適格のままでした。私はとてもGCPなど無理だったので、あまり関係ありませんでしたが、もしこれからGCPを目指す人がいたら気をつけてください。一度記録されるとその記録はついて回ります。


狙撃手について

 現在フランス軍では狙撃手も三つに分類され、それぞれTP,TE,Sniperと呼ばれています。
 TP(Tireur de precision)はフランス製狙撃銃FR−F2(7.62×51mm)の射手を指し、2REP,2REIの様な連隊では、各戦闘中隊で1個分隊に一人必ず居り、自分の分隊と行動を共にします。
 TE(Tireur d'elite)はPGM HecateU(12.7×99mm)の射手を指し、現在の編成では、CEA(偵察,支援中隊)のSTE(TE小隊)に配属されています。STEはFR−F2、PGM HecateUの他VAB T20−13(20mm機関砲搭載装甲兵員輸送車)を装備し、遠距離からの精密射撃による支援、市街地でのカウンタースナイピング等の性格の強い小隊ですが、フランス軍の編成はコロコロ変わるので、何年か後には無くなるかも知れません。
 そしてSniperですが、以前は13DBLEにも狙撃小隊が存在したのですが,現在外人部隊で狙撃小隊を持ち、Sniperの養成を行っているのは2REPだけです。現在2REP第4中隊の第1小隊がSection Sniperと呼ばれています。基本的には普通の戦闘小隊なのですが、他の小隊に比べTPの資格を持った人間が多く、また数少ないSniperの資格者が在隊しています。年に一回の割で行われるTPやTEの訓練と違い、Sniper訓練は下手をすると3〜4年に一回しか行われず、私の知る限り日本人でSniperを持っていたのは今までに二人しかいません。
 装備的に見ると基本的にFR−F2を使用しますが、スコープはフランス軍制式のSCROME J8 F1の他に市販のSWAROVSKI NOVAを使用しています。また、Barrett M82A1(12.7×99mm)を2丁所有しているのですが,残念ながら2丁共故障中です。その他にAccuracy International Super Magnum(338Lapua Magnum)我々はSMと呼んでいますが、イギリス軍で言うL115A1のことで、1丁だけ保有しています。将来的にフランス製狙撃銃PGM Ultima Ratioの7.62×51mmか338Lapua magnumが5丁程配備される事になっています。またSection SniperはGIGN(国家憲兵の特殊部隊)やRAID(国家警察の特殊部隊)のSniperとも訓練を行っており、特にRAIDの射撃の技術はSection Sniperの人間が高く評価していました。昨年もSection Sniperの軍曹がモンペリエでRAIDやGIPN(フランス版SWAT)のSniper達と訓練を受けてきました。
 そんな訳で、他の連隊で行われているTP訓練よりも2REPのSection Sniperで行われているものの方がレベルが高いかもしれません。
 コートジボワールのLicorne作戦では2REPの第1中隊、CEAのTPやTEがかなりの成果を挙げたと聞きました。この経験は次のTP、TE訓練に生かされることでしょう


フランス軍特殊部隊について

 先ずフランス陸海空三軍の統合特殊作戦群ですが、COSと呼ばれています。陸は1RPIMa(第1海兵落下傘連隊)、海はコマンドー・マリーン、空はCPA10(第10空軍コマンドー)に加え、DAOS(特殊ヘリコプター団)とDOS(特殊航空隊)が主なCOSの構成部隊です。しかし、COSだけが仏軍の特殊部隊ではありません。
陸軍では1RPIMaの他に、13RDP(第13竜騎兵落下傘連隊)が知られています。13RDPはDRM(陸軍情報部)とBRGE(電子戦情報旅団)に属し、敵地深く潜入しての情報活動を行う部隊で、精鋭ぞろいです。また11Choc(第11落下傘強襲連隊)は今では三つに分割され、それぞれCPROM,CPIS,CPESと呼ばれていますが、DGSE(フランス情報局)の作戦部門を担っています。デルタ・フォースのようなものでしょうか?
また、11BP(第11空挺旅団)の各連隊が持っているGCPも特殊部隊に数える事が出来ます。
仏海軍では基本的にコマンドー・マリーンなのですが、四つの強襲コマンドー(JaubertTrepelde Penfentenyode Montfort)と、主に水面下での作戦を担当するコマンドーHubertで構成されています。対海上テロに関してはコマンドーHubertのSection Bと強襲コマンドーのGCMC(対海上テロ・グループ)が担当しています。個人的に82年から84年にかけてレバノンのベイルートで作戦に従事したコマンドー・マリーンの体験談がとても印象的で参考になりました。世の中には凄い奴らがいるものだと感じました。
空軍ではCPA10の他にサーチ・アンド・レスキューを担っているCPA40があります。
次に国家憲兵隊のGSIGN(国家憲兵特殊安全対策群)ですが、GIGN、EPIGN(国家憲兵パラシュート部隊)、GSPR(政府要人警護チーム)の三つの部隊により構成されています。
GSIGNの憲兵達はよく2REPの駐屯するコルシカ島カルビにパラシュート降下に来ていたので、駐屯地内で何度か見かけた事があります。自由降下する組に女性も混じっていて驚いたのですが、多分GSPRの女性ボディーガードだったのかもしれません。
GIGNの94年12月のエアバス・ハイジャック事件での突入は歴史に残る作戦ではないでしょうか?
そして国家警察ですが、GIGNに相当する部隊としてRAIDが挙げられます。98年にRAIDの狙撃手が2REPのSection Sniperと合同訓練を行いましたが、RAIDの射撃の技術には驚かされました。また、日本のSATとも訓練をしたことがあると言っていました。RAIDの他にGIPNがありますが、SWAT的な部隊です。
最後に外人部隊ですが、2REPのGCP、1REGのDINOPS(水中特殊作戦チーム)そして2REGのDINOPSとURH(山岳偵察チーム)が挙げられるでしょうか。
現在、日本人外人部隊兵でたった1人だけ以上の内の一つに在籍している人がいます。これからも頑張ってほしいものです。
これから外人部隊を志願する人は2REPのGCPを目指して頑張って下さい。

GCPについて

 GCPとはGroupes Commando Parachutistesの略で、11BP(第11空挺旅団)に属する連隊と13RDPにあります。
 GCPは11BPの「目」として自由降下し、連隊が降下する際の降下地点の偵察と誘導、また長距離偵察、破壊工作、対テロ作戦などを担った精鋭です。以前はCRAP(Commandos de Renseignement et d'Action dans la Profondur)と呼ばれていましたが、英語で「糞」の意味なので、湾岸戦争の後、何年かして名称が変わりました。個人的にはCRAPと言う呼び名の方が好きでした。
 ここでは2REPのGCPに限って話を進めたいと思います。2REPのGCPはCEA(偵察支援中隊)に属し、30人程で構成され、GCP本部、医療衛生、通信、武器・爆発物、特殊戦術、情報・写真偵察の6部門に分かれています。
 予備選抜を受ける条件は、まず最低伍長であることで、以前は26歳まででしたが、今は年齢制限はなくなりました。各中隊より志願者を募り、2〜3週間、基本戦技そして知力、体力、精神力が試され、最後に有名な30000TAPで締めくくり、結果を待つ事になります。大体、毎回2人程が受かっていました。予備選抜を受かると、モン・ルイとコリオーにあるCNEC(仏軍コマンドー訓練センター)で1ヶ月のMoniteur Commando(コマンドー助教課程)を受けさせられ、その後ポウにあるETAP(仏軍空挺教育隊)でChuteur OPS(戦術自由降下課程)に進むことになります。Chuteur OPS訓練では1500〜5000mの高度から10週間で約80回(夜間9回)の自由降下を実施します。これに合格するとChuteur Operationnelsの記章を胸につけることができます。一般の空挺記章とほぼ同じデザインなのですが、パラシュートとウイングの色が金色で、銀の星の代わりに5つの青い小星が半円を描いてモチーフされています。そんな訳でGCPのことをよくChuteur Operationnelsと呼んでいます。降下回数も半端ではなく、長く在籍した准尉等は1000〜1200降下という人もざらでした。
 その後各種CT1,CT2等の様々な技術、またCNECでのInstructeur Commando(コマンドー教官課程)、ETAPでのHALO,HAHOに加えてSOTGH(6000m以上からの降下)、Moniteur PARA(空挺教官課程)、タンデム降下課程等の降下技術、またSAF(ダイバー)や小型船舶の操縦、フォンテーヌ・ブローの体育学校でのInstructeur CAC(格闘技教官課程)、GIGNと合同の対テロ訓練等を経て一人前のGCPになって行くそうです。2REPのGCPでは一人前になるまでに最低3年は必要だと言っていました。
 GCPが連隊と行動する事は少なく、他の11BPのGCPと合同か2REPのGCP単独で様々な任務、訓練を世界中で実施しています。またCOSの支援のために行動する事もあります。
 91年の湾岸戦争に2REPは参加しませんでしたが、2REPのGCP(当時CRAP)のみ他の11BPのGCPと共に参戦しました。94年12月のエアバス・ハイジャック事件では2REPのGCPも万が一GIGNが介入出来ない場合に備えて現地入りしていたそうです。また95年の旧ユーゴスラビアでは米軍特殊部隊と共にイスラム系コマンドー訓練施設を武装解除しました。97年のコンゴ・ブラザビル(Pelican作戦)では戦死者を一人出しています。その他、チャド、中央アフリカ、ソマリア等での活動が挙げられると思いますが、80年代位までフランス政府の傭兵として暗躍?していたそうですから、その他にも我々が知ることの無い活動に従事していただろうと思われます。
 現在GCPはフランス人が多く、あとは英国人、東欧系でしょうか。日本人でGCPの一員になった人はまだいないので、これから志願する人達には頑張って欲しいものです。

コートジボアール

 2002年9月19日に反政府ゲリラMPCIとFANCI(コートジボワール政府軍)の対峙により内紛が国を二分化、フランスはコートジボワールの自国民保護の為コートジボワール駐留の43BIMaに加え、ジブチに四ヶ月のミッションで駐留していた2REPのCEAを投入しました。               
 Licorne作戦では2REPだけで今までに8人の負傷者を出し、97年のコンゴ ブラザビル以来の大規模な作戦になりました。 1人目の負傷者は、空港への道をCEAの一個小隊が1RIMaの偵察装甲車ERC90SAGAIEに支援されての偵察中に生じました。カラシニコフ、対戦車ロケットRPG7、迫撃砲によるゲリラの攻撃を受け、結果としてフランス軍側は10人以上のゲリラを倒しましたが、CEAの軍曹が1人砲撃の爆発により足のつま先を吹き飛ばされて、フランスへ後送されました。
 11月に入り、MPCIに加え新たにMPIGOとMJPの二つの反政府ゲリラが加わり、内紛が激化。12月、2REPの第1中隊と第4中隊が相次いでコートジボワール入りしました。
 第1中隊は1月初めに二時間近くに渡り、ゲリラと戦闘を交え、30人以上のゲリラを倒しましたが、第1中隊側も5人の負傷者を出し、フランスの病院に後送されました。
 そして、第4中隊も二人の負傷者を出しました。第2小隊がVAB(装甲兵員輸送車)によるパトロール中、先頭のVABがゲリラによるRPG7のロケット攻撃を受け、ロケットは操縦席側より入り、操縦手のロシア人伍長の左腕を吹き飛ばしました。車長席に居た分隊長の上級伍長は上半身を車外に出していたので、下半身に40近い破片を喰らいましたが、車載の12.7mm機関銃で直ちに反撃、しかし、12.7mmが装弾不良を起こしたそうです。VABの後部に乗っていた連中も下車し、FAMASやMINIMIで反撃、二人のゲリラを倒しました。
 左腕を失ったロシア人伍長と破片を喰らった上級伍長は、フランスへ後送されました。
 まだLicorne作戦は続いています。他のレジョネールたちの無事を祈るばかりです。2REPはもうすぐ他の部隊と交代します。


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